若き日のリチャード・ギアというと、「ミスター・グッドバーを探して」のめちゃめちゃ軽薄なにいちゃんを思い出すが、この「天国の日々」の彼はなかなか。
この映画は三角関係の話なのだが、舞台が1900年代初めのアメリカということで、一部の人間をのぞいて誰もが貧しく、誰もが流浪していて、労働者にとっては過酷な時代だったがゆえに、この物語の主人公の内的な焦燥や混乱はハンパではなくて、この三角関係にはたして「愛」が介在しているのかは疑わしいところだ。が、リチャード・ギア演じる主人公は、見事にこの疑惑をはらしてくれた。どこかで読んだ焚き火にわが身を投じて仲間を救ったウサギの話を思い出したが、それは深読みが過ぎるだろうか。断言できるのは、彼には「愛があった」というコトだ。
オトコは、妹のリンダと恋人のアビーを二人とも妹と称して流浪している。収穫時の臨時雇いの労働者として広大な農場で働くうちに、アビーは余命いくばくもない農場主に見初められ、オトコのススメで結婚する。オトコはそれまでの暮らしにうんざりしていたから。農場主は孤独な人間で、自分がまもなく死ぬコトを知っている。ここで追い討ちをかけるように、リンダによる独白が入る。
「花をあげたら、一生大事にもっているヒトだ」。ここで問題なのは、農場主の孤独ゆえの執着心。
当初、期間限定とはいえ、恋人を他のオトコの手にゆだねるようなヤツは悪人で、不治の病に冒されているうえに、まんまとだまされてしまう農場主がお気の毒な善人のような気がしたが、展開が危機的な状況になるにつれ、まんざらそうでもないコトがはっきりしてくる。ここで追い討ちをかけるように、リンダによる独白が入る。
「完璧な人間なんていない。皆、半分天使で半分は悪魔だ」。そういうコト。ここで問題なのは、人間の孤独とエゴイズム。
そして物語の中心にいて、二人のオトコの「愛」に翻弄されていると思われていたアビーが、ラスト近くで実はまんざらそうでもないコトに気付く。ここで追い討ちをかけるように、リンダによる独白が入る。
「彼女に行くアテなんかなかった。いいヒトに出会えるといい」。そういうコト。彼女は誰のコトも愛さないオンナなのだ。何かを与えてくれるオトコについて行くだけだ。
4人で過ごした「天国の日々」。リンダのいう「王様の暮らし」は、天が与えた束の間の「借り物の幸福」。時は大戦前夜。リンダが歩き始めた寂寞とした線路の果てに、本物の「天国の日々」があるのだろうか。音楽・撮影・演出も見事な美しい映画でございました。